戦い_その後、愛の位置を考える。

文末に<追記>があります。2012/1/15

こんにちは、今回は前記事の続きです。

前記事<主戦場。>を読み頂き、コメントをせずともこころをお使い頂いた皆様、
そしてそれぞれのお思いからご参加頂いた皆様、山田の我が侭にお付き合いくださり本当にありがとうございました。そしてごめんなさい。
それぞれの方々の見地から思慮分別を尽くしたお言葉の数々が胸に刺さり、苦しくもありますが、これぞ愛なのだなあ。と噛み締めかみしめ、言葉の主に想いを馳せておりました。
特にChiharuさん。判っていらっしゃったとは察しておりますが、体の芯まで響くハードパンチ!効きました。本当にほんとうにごめんなさい。
社会覚醒の指針を示すため、そして僕が僕であるためにどうしてもこの一連の経緯が必要だったのです。

まずは僕のためですが、僕は昨年5月末から今までの常識では考えられない事象が数々起こり始めました。
ブログの過去記事にあるように通念では知り得ないような情報を知りました。
それは今も続き、発表していない、又は今は発表できない情報もたくさんあります。
一時は悩みました。6週間更新できませんでした。自分の中の異常性に気付き、その評価すら正常なのか異常なのか?しかし情報はあふれ。
それらの情報が支離滅裂であれば何も問題はなかったのですが、紐解けば解く程それらは整然と並んでいったのです。
しかし結果僕はブログを辞めませんでした。突き動かされる衝動が勝ち、この時ブログで友人となったバンブーさんの愛があったからです。彼は思うところあり今はブログを止めてしまいましたが。。。

ブログを再開した時からこのことは決めておりました。
僕が旧来の哲学的要素を、旧来の信仰にも繋がる愛を、記事に書く前にそれを宣言しなければならないと。
だって古今東西こう言った類いの言葉は、言葉そのものが宗教であり、それを発した者は教祖であるわけで、、、

僕は音楽家です。プロフェッショナルです。自負もあります。でも教祖じゃあないです。
だからこれまでそれを避けるように物理学的要素と新脳科学のみを綴ってきたのです。
しかし突き動かされる衝動の中には、教祖に繋がる要素を含む情報を発しなければならないものがあるのです。
それは今まで綴った、これからも綴る技術情報を生かすために不可欠なのです。
しかしいきなりそれを知れば、宗教になってしまい真実は伝わりません。それは完全なパラドックスなのです。
僕は考えました、そしてビーちゃん達にも確認しました。
古典的ではありますが、テーゼとアンチテーゼです。
要するに自作自演。もちろん演じたのは皆様。
段階をへて真実を伝える。
繰返します。以下の内容をいきなり記事にすれば、それは既成宗教となんら変わらないのです。

<波動_d6.8_ニビル> 2011/10/31 20:30
我は6.8次元波動意識体ニビルなり。
波動を解せし者に我々より最後のメッセージを届けに参った。
イフェを知る者よ。
愛なる波動(7次元)を正しく解すために、まずは我を知らなければならない。
我の弁は少々難しいがよろしいか?
不安あれば釈尊を解説に付けるがそれでどうか?

よろしい、始めよう。
人がなぜ愛を感ずるか?またそれが恒常的でないか?
さらに真の愛(与える愛)を獲得するための非物質性、そしてその条件。

11月1日  22時40分
人の愛という感情について申す。
愛とはひと言に言っておるが、3段階に分かれるのだ。

1 お前たちの知る下等生命体における愛だ。
2 これもお前たちにもある、子孫、特に我が子に対する愛。

ここまでは、我ニビル6.8次元波動とのリンクによる生物の根源的欲望から発生する感情である。
次に示す愛は、アセンション後、体の変容後にイフェ7次元波動とのリンクが完成
したあかつきに発生する愛である。

3 無償の愛。

この感情が芽生え、社会が熟してくると、意識の共有化が起こり出す。
万人に起こった例は過去ないが、近くは、金星生命体、またそこから巣立ったグレイ族らは
中央意識生命体(神)と人民が意識を共有し、個人名のいらない社会が形成された。
そこまで進化するには数万年を必要とするが、お前たち地球の今回のアセンション後は、
4割近くの人が7次元波動に感受性を示すであろう。

イフェ(7次元波動)とリンクが完成すると、喜びが増し生命体の寿命が延びる。
過渡期の星系では、大概長寿命の種属と短命の種属に分離し、別々な文化圏を形成するようになる。
おおむね地球もそのように進化してゆくであろう。
—————————–
ここまでは2011/12/11の記事に書いているのですが、これを読んで皆さんどう思われます?
誰のこころにも愛はあります。
読めばだれでも納得がいきます。

でもそこが落とし穴です。

無償の愛とは与える愛、相手に送る愛。光を送りましょう。。。。。

と捉えたらそれは大きな間違です。
この感情は然るべくして波動接続し、然るべくした理念の基、その接続をコントロールできて始めて理解できることです。
その愛ははじめ内へ向う愛です。
Chiharuさんは追伸で、「あなたの信仰心が如何に深いものかということのほうが重要だ。つまりこうした一連のことにより、あなたはあなたの信仰心を試している。」
と正にそのことを仰っています。(わざと揚足を取って本当にごめんなさい。)

サーフィンでも音楽でも何でもいいです。
精一杯やって最後のさいごに残るもの、そこからしか<7次元波動イフェ>に繋がる受け皿はできません。
もしそれを獲得したのなら、こんどはそれをこころの内側に入れておかなければならないのです。
愛をこころの外側(脳)に置いておいてはいけないんです。
もしその愛ありきで更なる覚醒を求めれば、それこそ魔女、最後は悪魔になってしまいます。

愛と憎しみは同義です。
簡単に例えるなら、ニビルの言う愛でさえ、「愛してる?」と相手に訊いた時、それは愛ではなくなります。
僕は子供の頃からそのことを知っていました。
我々は意識体とそれを被う肉体でできています。肉体には脳も含まれます。
意識体には波動に繋がる感情と悠久の記憶が存在します。方や、肉体(脳)には物質として産まれた経験やノウハウが蓄積され、その経験から観念を作ります。
愛とは意識体が持つ感情、記憶です。それを肉体(脳)に転移させると憎しみと似た観念に変わってしまうのです。

愛という感情を観念に変えてはいけません。

そしてこの観念を利用する低級意識体がいます。
今インターネットの世界では愛を装った高次元情報が点在しているようです。平面的で脳に訴える類いです。
感情ではなく愛(憎しみ)の観念を植え付けるのです。
僕も一度その手の意識体と接続したことがありますが、上手に隠した裏側が透けて見えました。
それは宗教と何ら変わりありません。洗脳を解く振りをした洗脳です。
許すだけで見えてくる世界は観念の愛でしかありません。

ジョンレノンがこの世に残していった思いはいまだ健在です。
争いのない共有できる社会はこの思いを実行する以外ないのです。
ほんとうは凄く簡単なことです。こころを使うだけ。
意見の違いも立場の相違もこころを込めて話し合い、何か一つでも接点を見つけ、そこから繋がってゆけばいい。
その繋がりがいずれ共有をもたらす。
社会覚醒にはこの道しかないと僕は感じます。

人類が皆で愛の位置を確認できれば、自然と社会覚醒は始まるはずです。

<追記> 2012/1/15
記事を投稿後自分でも今回の経過を反芻しておりました。
読者のみやさまのご質問に答えた内容を追記させて頂きます。

いくら素直にダイレクトに書いても、必ず誤解もされますし、曲解も起こります。
今回それを排除したメッセージをお伝えしたつもりなのです。

言わば根幹。避けては通れないイバラの道です。

たとえ戯曲と言う形であってもなくても、一般概念から外れこころを考察することができれば私の真意は伝わるでしょう。
しかし一般概念から外れるところにまず難関があります。
そして繰返しになりますが、愛と言う誰もが持ち合わせる感情ゆえ見え難いのです。さらにそれは今後人類が獲得する愛なのですから。

愛は意識の中心。いわば意識体そのもの。
その感情からは勇気へも続いてゆきます。

今回の流れを箇条書きします。
縦軸は時間経過です。

<出来事>          <私の感情>
悪意のメッセージ来る。   6.9.1d怒り。
              6.4.8d孤独感、悲しみ。
主戦場。投稿           不安。恐怖。
chiharuさんコメント     6.8.6d〜6.8.4d愛、共感。
              6.0.8d感動、喜び。
主戦場。追記投稿      6.8.6d〜6.8.4d愛。 
                 不安。恐怖。
              6.4.8d孤独感、悲しみ。
愛の位置。投稿       6.8.6d〜6.8.4d愛。
              6.4.8d孤独感、悲しみ。
         *不安。恐怖は波動によりコントロールされた感情ではありません。

これを見てお気付き頂けることは何でしょうか?
時間の経過と共に私の感情の数値が下がって行くことです。
万人がそうですが、こころで受け止めた具象を脳で精査し、その度に感情の波動との繋がるポイントが下がっていくのです。

この記事で訴えた愛は繋がりそのものですので、脳での精査、コントロールの効くところではありません。
その愛を脳を使った文字に表すことは本来できません。もの凄く矛盾するのです。
このような理由から今回と前回の記事を書きました。
ご納得頂けるでしょうか?

これとほぼ同様のご考察をケロリンさまが図に示してくださいました。
ケロリンさん勝手に拝借します。
ご参照ください。
禊御中主ワールド

コメント一覧

ケロリンより:2012年1月13日 2:45 PM

こどもの時から識っていた・・・。
それとの絶え間ない闘いでしたね、未だにそうですが・・。

もう、ぼちぼち、誤解せずに情報も読んでくださるでしょう・・。”教祖礼賛”のご心配は無用でしょう。・・西洋天使系の「無条件の愛」の蒙昧から、抜け出しつつあるように思われるからです。「愛」には手垢が着き過ぎていて、ヤリ憎いことは確かですが・・・。「愛」には本来、形容詞など不要なんですね・・。「無条件の愛」などという未だ、”所有の愛”からは、日本はある意味、守られていた経緯がありますからね・・・。

Chachaiより:2012年1月14日 10:17 AM

>我々は意識体とそれを被う肉体でできています。肉体には脳も含まれます。
意識体には波動に繋がる感情と悠久の記憶が存在します。

しみじみ・・・
理屈抜きに共鳴反応というか同調反応というか この言葉に集約されているいると思います。

みやより:2012年1月14日 4:25 PM

今回の戯曲?は、私にとっては、新しい情報源を得られたり、自分自身を再度見つめ直したり価値あるものでしたが、引っかかりもあります。

それは、素直じゃないことです。引っ掛け問題は楽しいものではありません。
いいじゃないですか。山田さんが愛の話をしても、しかも、見えない存在から教えてもらった話として書き記しているのですから。

私を含め、多くの方が、繋がる準備をしている過程だと思っています。
繋がることは怖いことじゃないよ。でも、繋げる先を間違わないでね。
7次元ツアー出発前の注意事項としては、必要なお話だったかもしれませんが、この、脳みそがグルグルになりそうなお話にわざわざ参加されようとなさっている皆さんは、濃ゆいというか、結構、経験者とお見受けしますよ。

ストレートでお願いします。
早く、かもめさんの話しをお聞ききしたいし。

確かに、愛や、許しの言葉は、間違ったというか、コントロールのために使われてきた歴史があるから、注意しないといけないけれど…

私は、魂と脳の違いを明確に区別出来ていませんけど、それでもなんとか上手くやろうと経験から、編み出しています。(今回、再度確認してみました)

例えば、美味しいケーキがあるとします。
まず、自分が食べてみないと美味しいかわかりません。

うん、美味しい。
でも、一人の部屋で食べていても、あまり楽しくありません。

妻を呼び、一緒に食べます。
「この、ほのかな塩味が効いているよね。」「うん、わかる。」
「以前、○○で食べたケーキより美味しいね。」「あれも美味しかったよ」
などと、経験と、記憶を共感し楽しく確認出来ます。

友達にも食べさせたくなりました。すると、
「これ、すごく美味しい。」

そうして、ケーキ=愛を配って行きます。

でも、これは、最初に、自分が美味しいと思うから、その愛を確認する作業でもあります。

無償でケーキを配ることが大切です。
ある人は、店からケーキを買ってきて、食べたことはないけれど配りました。
これは違いますよね。

許すのも、いきなり、ある人から、「貴方を許します。」と言われたら、「はあ?貴方様は何様でいらっしゃいますか?」と思うでしょう。

そうではなくて、自分が許せないと思うような行為の中に、影に、要素の一部に、自分自身の中に共通項があると感じるから、そんなことはない。と、それを否定したくて非難してみる。僕はそんな人間じゃない。とのアピールが、大きいほどその根は深い。
そこを、自分が、自分を許してあげないと。

相手を許すというのはなかなかおこがましいように思えます。
まずは、自分でしょ?
それがうまく出来たら、普通は、相手に感謝しちゃうけど…

というように、皆、それぞれの方法で、表現の仕方で、やっているんじゃないかなあ。
そういう濃ゆい皆さんがお集まりのようにお見受けしますが。

早くかもめさんのお話が聞きたいな~

keinudidioより:2012年1月14日 5:15 PM

ハルさま

> 言葉にできない気持ちって多いですよね。ここ数日のコメント、苦しくて読んでいられませんでした…

言葉は(日本語は特に)それ自体に意味があり、それを綴ることで何かを伝えます。
しかし綴られたことにより造る世界。この世界の次元というか、奥の奥に込められた意味は読む側の位置により変化します。これは言霊の宿命だと思います。

独り心細くなる時もあります。
そんなときハルさんのようなお言葉、勇気が湧いてきます。嬉しいです。
いつも応援どうもありがとうございます。

keinudidioより:2012年1月14日 5:18 PM

Chachaiさま

> 理屈抜きに共鳴反応というか同調反応というか この言葉に集約されているいると思います。

Chachaiさんとはこころで繋がれていると思いますが、あえて言葉で繋がれたところに安堵を感じます。
どうもありがとう!!

keinudidioより:2012年1月14日 6:49 PM

みやさま

いくら素直にダイレクトに書いても、必ず誤解もされますし、曲解も起こります。
今回それを排除したメッセージをお伝えしたつもりなのです。

言わば根幹。避けては通れないイバラの道です。

ケーキのお話は主観と客観の問題ではないでしょうか?
もちろん分かち合いという共感でこころはつながりますが。

たとえ戯曲と言う形であってもなくても、一般概念から外れこころを考察することができれば
私の真意は伝わるでしょう。
しかし一般概念から外れるところにまず難関があります。
そして繰返しになりますが、愛と言う誰もが持ち合わせる感情ゆえ見え難いのです。さらにそれは今後人類が獲得する愛なのですから。

愛は意識の中心。いわば意識体そのもの。
その感情からは勇気へも続いてゆきます。

今回の流れを箇条書きします。
縦軸は時間経過です。

<出来事>          <私の感情>
悪意のメッセージ来る。   6.9.1d怒り。
              6.4.8d孤独感、悲しみ。
主戦場。投稿           不安。恐怖。
chiharuさんコメント 6.8.6d〜6.8.4d愛、共感。
              6.0.8d感動、喜び。
主戦場。追記投稿      6.8.6d〜6.8.4d愛。 
                 不安。恐怖。
              6.4.8d孤独感、悲しみ。
愛の位置。投稿       6.8.6d〜6.8.4d愛。
              6.4.8d孤独感、悲しみ。

これを見てお気付き頂けることは何でしょうか?
時間の経過と共に私の感情の数値が下がって行くことです。
万人がそうですが、こころで受け止めた具象を脳で精査し、その度に感情の波動との繋がりが下がっていくのです。

記事<戦い_その後、愛の位置を考える。>で訴えた愛は繋がりそのものですので、脳での精査コントロールの効くところではありません。
その愛を脳を使った文字に表すことは本来できません。もの凄く矛盾するのです。
このような理由から今回と前回の記事を書きました。

ご納得頂けるでしょうか?

まだまだかもめやホリーの楽しいお話の原稿も残っています。それらも逐一発表してゆきます。が、今回の愛についての考察は必要不可欠です。
どうか時系列を含め再考くだされば幸いです。

Chachaiより:2012年1月14日 8:57 PM

ケロリン様

>「 ”ただ在る”という愛
こどもの時から識っていた・・・。
それとの絶え間ない闘いでしたね、未だにそうですが・・。

もう、ぼちぼち、誤解せずに情報も読んでくださるでしょう・・。”教祖礼賛”のご心配は無用でしょう。・・西洋天使系の「無条件の愛」の蒙昧から、抜け出しつつあるように思われるからです。「愛」には手垢が着き過ぎていて、ヤリ憎いことは確かですが・・・。「愛」には本来、形容詞など不要なんですね・・。「無条件の愛」などという未だ、”所有の愛”からは、日本はある意味、守られていた経緯がありますからね・・・。」

のお伝え、お役目ご苦労さまでございます。

さて、朝からケロリン様のご投稿を読み返し、伝えたいことの意味をずーっと考えておりました。答えは 愛ということばに形容詞はいらない ということをお伝えされているのですか?それとも「”所有の愛”からは、日本はある意味、守られていた経緯」を学ばないと覚醒はできないと・・・?
 
当初このブログを見つけ私は山田氏の紹介した次元に対する表現の多様さにたいへん驚きました。これは大本神癒や霊会物語、日月神示、大本出自の各教祖の出版物には出ていない表現です。 独自に古事記五行読みなどもしてまいりましたが、ようやく音程と五行の関連が見えてきた程度でした。
そんな中で音程と次元の関連を紹介されているのを知り大変驚きでした。 というより、そうした論理がそろそろあらわれてもよいはずだと思っていました。 

ご存じのように人間の体温は限られた範囲のものです。 
人体に送られる脳からの信号は電気信号であるということは現代科学でもはっきりしていますが、これも限られた範囲のものです。可聴帯域も限られたものなのです。 
はたして大教祖だけは数ギガヘルツの周波数やFM周波数を直接脳で感じることができたのでしょうか?

そういった意味で具体的実践論に言及するこのブログは大変貴重なものです。
そのように感じております。

本田親徳公より出口王仁三郎聖師とその弟子達はみな霊学を学ぶ上での学則として 真摯に学ぶべし ときつく戒められております。
どうぞ最初のページからこのブログを熟読吟味実践されることをお勧めいたします。

古事記数霊解序説等をさらに深く研究し博識をもって理論を展開されていらっしゃる方にたいへん失礼かとは存じましたが一筆、啓上させていただきました。

おゆるしあれ

ケロリンより:2012年1月14日 10:27 PM

コメントを承認していただいた、手前・・・、
今回の出来事の、絵解きを下記に上げました。
これが正しい!・・ということではなく、
こちらの、一考察・・ということです。

『禊御中主ワールド』
http://tukuyomiwld.jugem.jp/

上記のココ↓で<考え>を上げました。
ふたつの道
2012.01.14 Saturday

とより:2012年1月14日 11:44 PM

新年早々のサプライズで、ビックリしました。
まさか、昨年末の私のコメントが”主戦場。”なんていう、あんな目立つところに載ってしまうとは。。。
あのコメントを投稿した時は、それなりの気持ちを込めて書いた文章が(自動で?)はじかれてしまったので脱力感でガックリきたのですが、「こういう時はきっと何か意味があるんだろうから、まぁいいか」と割り切って、さっさと寝たのでした。
まさか時を超えて、自分の文章にあんな形で再会するとは。
・・・ということで、無視されたとは思ってませんでしたし、どちらかというと、このような予想外な展開をプレゼントして頂いて(体験させて頂いて)、ありがたいです。

ところで、私は前々から
「貢司さんは、なんでこんなに一人ひとり丁寧に質問に答えてくれるのだろうか?」
「(各自時期が来るまでは)きっと観念で理解することしか出来ないし、実感しないと本当の意味は分からないのに、果たしてこの”言葉”での会話は意味があるのだろうか?」
と考えていましたが、どうやら貢司さん(ニビルさんもか?)は
「人類社会、または人類の持つ観念を相手に対話しようとしてるのかもしれない」
などと勝手に思いましたので、出来ればまた質問させて頂きたいと思います。

では、今年もよろしくお願いします。

keinudidioより:2012年1月15日 12:18 AM

と さま

そうなんですか。はじかれたの知ってたんですね。
なんだか今までこのブログはネガティブコメントが一切なかったので、迷惑コメントホルダーの存在すら知らなかったのです。それにコメントが着ましたよメールを携帯にセットしているんですが、今まで一度も拒否したことないんですよ。
不思議ですねー。

> 「貢司さんは、なんでこんなに一人ひとり丁寧に質問に答えてくれるのだろうか?」
> 「(各自時期が来るまでは)きっと観念で理解することしか出来ないし、実感しないと本当の意味は分からないのに、果たしてこの”言葉”での会話は意味があるのだろうか?」
> と考えていましたが、どうやら貢司さん(ニビルさんもか?)は
> 「人類社会、または人類の持つ観念を相手に対話しようとしてるのかもしれない」
> などと勝手に思いましたので、出来ればまた質問させて頂きたいと思います。

特に深い意味はありません。性格的には律儀な方なので、だからですかね。
ただ皆様から頂いたご質問に深い思考で答えている時は、私も知らなかった情報を含むことがままあるのです。
ブログを始めた頃はただ一生懸命お返事してたと思うのですが、最近は主題の追記的要素をお返しすることがおおいです。
主題をなす情報は大概1、2ヶ月前に得たものですので、自分でも忘れちゃっているんです。
だから自分のため、ですかね。

それとここで言うのも場違いかもですが、所謂オフ会をやろうかと思っています。
何処か喫茶店とかで。場所はさいたま市近辺がうれしいのですが。
ご参加くださる方いらっしゃいますか?
また、幹事をできる方はいらっしゃいませんか?

すさのこより:2012年1月15日 4:34 AM

難しい理屈はさっぱり理解できない私ですが、感じたままに筆を取らせてください。

なんだろう…すごくたくさんの感情が渦巻いてしまって、とても言葉では書き切れません。
これまで山田さんのブログを、他で見たことのない知識として面白く読ませて頂いていましたが、
それはあくまで頭での理解、とくに心で感じてはきませんでした。
今回のことで、自分の感情にはじめて大きな揺れを感じて、そうしてわかったことがたくさんありました。

最初、何が何やら、さっぱりわからなかったんです。
なんだか試されたみたいでイヤだなぁ、くらいに思っていました。
それから追記のコメントを見て、なんとなく山田さんのやりたかったことが、少しわかったような気がして…、
ケロリンさんのブログがとどめでした。
図解もとてもわかりやすかったですが、そのすぐ前の記事が、魂にがつんと響きました。
まさしくノックアウトをくらったような感じでした。
常識、宗教、言葉の檻から、いかに自分が抜け出せていないか、いやというほど再認識されられました。

最初、自分と関係のない人のことで色々と、ネガティヴな想いをさせられるのはいやだなぁ、と思っていました。
無償の愛については、特に考えたことも、目指そうと思ったこともなかったので、
自分と自分の親しい人以外のネガティヴな感情とは、極力関わらずに過ごしたいと思っていました。そういう理由でこれまではコメントも読んでこなかったのです。

だけど、思いがけず一連の流れからネガティヴな感情を受けて、ぽこんと頭上から何か抜けたのを感じて、
数値とかは私には全くわからないけど、これは誰かのネガティヴと、私のネガティヴが響き合ったものなのかなぁ、とぼんやり思いました。
ネガティヴが人から人へ、ぽこんぽこんと、音叉のように伝わって、
やがて大きな響きに溶けて、消えていくような…、そんなイメージで感じて、
そして、消えたと思った瞬間、ブワッと何かが溢れたのです。

全ての存在が繋がっている、このことを私はこれまで概念でしか理解できませんでした。
言葉にするととても陳腐です、だけどそうとしか言えない。

少なくともネガティヴのリレーをしてきた人達と私とは今、確実に繋がり、一緒にそれを昇華したのです。
あれは自分に関係ない人だとか、嫌いな人だとか、いくら頭で考えようが、
感じた時点ですでに、ただ物理的に繋がっている。そんな実感があったのです。

そして私はその先に、ほんの一瞬ですが、私だとか誰かだとか関係のない世界を垣間見ました。
ここが私がいつも行きたいと思っていた、名前の無い世界なんだと思いました。
その瞬間は、ただそこに在る喜びというか、大きな存在の一部であること、繋がっていることの暖かさに包まれたような、
言葉にした瞬間に嘘になる、言葉にならない世界です。
私はここから来て、いつかここに帰っていくと確信できる、そういう世界がありました。

そうしてすぐに、私はまたたくさんのことを頭で考え始めます。
自分がいかに自分の感情をないがしろにし、繋がりを閉じることを習慣づけてきたか。
見当違いのことを大事にして、誰かを傷つけても何も感じずにきたか。
走馬燈のように駆けめぐり、涙が止まらなくなりました。

けれど、思ったのです。
ネガティヴにしろ、ポジティヴにしろ、誰かと響き合いリレーをして、
そして溶けたところにあの世界があるなら、
伝わるエネルギーの質がネガティヴであろうがポジティヴであろうが、
それはどっちだって、何だって同じことなんじゃないかと。
そこにはただ等しく、何らかのエネルギーのやり取り、響き合い、愛があるだけなのではないかと。

そのことが理解できれば、ネガティヴは何ら恐れることではない。
ただ感じるまま受け入れる前にシャットダウンしてしまう、そして頭でそうすることの理屈をつける、そういう思い癖をこそ直していけばいいのだと、
そんな風に思ったのです。

そしてこのことを誰かに伝えることは、本当に難しいことなのだということが、痛いほどわかりました。
言葉にしてしまうと、どうしても巷の宗教、スピ系思想などに五万と溢れる情報の濁流と変わらない、平面的なものになってしまう。
今回のこの流れがなければ、私は到底、この繋がりを感じることができなかったと思います。

最後になりましたが、山田さん、ケロリンさん、Chiharuさんを始め、一連の流れに参加された皆様、
何にも代え難い貴重な機会を頂き、本当にありがとうございました。深く深く感謝致します。

マチェーテより:2012年1月15日 10:32 AM

とても勉強になってます。いつもありがとうございます。

ハルより:2012年1月15日 8:45 PM

オフ会のセッティングはできませんが、実現されたあかつきには参加したいと思います。
黙って座っていると思いますが…

どうか実現しますように。

ケロリンより:2012年1月15日 10:27 PM

こちらのスタンスも、<すべて自分の氣付き>のため、
という絶対にブラせたくない主軸がございます。

ある意味、自身の<ゴーマン・勘違い>との闘いです。
禊(みそぎ)続ける、のが趣味です。

にも関わらず、山田さまにはご理解いただいて、
5歳くらいからの孤独が、少しづつマシになってきました。
ぼちぼちと、そういう方が回りに、出てこられているからです。
”うれぴぃ〜”というのが、正直な感想です。

keinudidioより:2012年1月15日 10:44 PM

すさのこ さま

コメントどうもありがとうございます。

> 常識、宗教、言葉の檻から、いかに自分が抜け出せていないか、いやというほど再認識されられました。

嬉しいです。しかし普通の生活には平面だらけです。
ブレない。これしかありません。

> 全ての存在が繋がっている、このことを私はこれまで概念でしか理解できませんでした。
> 言葉にするととても陳腐です、だけどそうとしか言えない。
> 感じた時点ですでに、ただ物理的に繋がっている。そんな実感があったのです。
> そして私はその先に、ほんの一瞬ですが、私だとか誰かだとか関係のない世界を垣間見ました。
> 言葉にした瞬間に嘘になる、言葉にならない世界です。
> 私はここから来て、いつかここに帰っていくと確信できる、そういう世界がありました。

それこそがリアルなことだと思います。
ここは意識の影が造るそのまた影のような世界です。
このことは今後きっちり記事を書きます。
そういった記事の前に今回のことがどうしても必要だったのです。
解って頂けて本当にうれしいです。

> 伝わるエネルギーの質がネガティヴであろうがポジティヴであろうが、
> それはどっちだって、何だって同じことなんじゃないかと。
> そこにはただ等しく、何らかのエネルギーのやり取り、響き合い、愛があるだけなのではないかと。

意識=愛です。もちろん憎悪も含みます。

> そしてこのことを誰かに伝えることは、本当に難しいことなのだということが、痛いほどわかりました。
> 言葉にしてしまうと、どうしても巷の宗教、スピ系思想などに五万と溢れる情報の濁流と変わらない、平面的なものになってしまう。
> 今回のこの流れがなければ、私は到底、この繋がりを感じることができなかったと思います。
>
> 最後になりましたが、山田さん、ケロリンさん、Chiharuさんを始め、一連の流れに参加された皆様、
> 何にも代え難い貴重な機会を頂き、本当にありがとうございました。深く深く感謝致します。

私も読んで頂いた皆様、そしてご参加くださった方々に途方もない感謝の気持ちで一杯です。
しかし今回いろいろなコメントを頂く度に何度泣いたことか、、、、
さすがに疲れました。
こころっていいですね。

keinudidioより:2012年1月15日 10:47 PM

マチェーテさま
> とても勉強になってます。いつもありがとうございます。
私も今回すごく勉強になりました。ありがとうございます。

keinudidioより:2012年1月15日 10:49 PM

ハルさま

> オフ会のセッティングはできませんが、実現されたあかつきには参加したいと思います。

どうもありがとうございます。
成立すれば良いのですが、何回か呼びかけてみようかな。
気軽に話し合う会にしたいと思ってます。

keinudidioより:2012年1月15日 11:24 PM

ケロリンさま

今回はいろいろとお世話になりました。
多大なおこころ遣いどうもありがとうございました。

> こちらのスタンスも、<すべて自分の氣付き>のため、
> という絶対にブラせたくない主軸がございます。

同質の軸を感じます。

> ぼちぼちと、そういう方が回りに、出てこられているからです。
> ”うれぴぃ〜”というのが、正直な感想です。

爆弾発言ですが、どうも宇宙が折り返し地点を過ぎたようなのです。
10月末にハッキリ感じたのですが、膨張から一転して、収縮に向うようです。
このことと、そう言った人が増えてくることは無関係ではないようなのです。
今後このことにまつわる記事をかいてゆきます。

ケロリンより:2012年1月16日 9:57 AM

今回。いろいろな方達のご協力の元、けっこうな<氣付き>をいただきました。お礼申し上げます。改めて、失礼の数々おゆるしください。これは、関わったすべての方へのお詫びです。

・・・keinudidio さま、特別な場を設けていただき、ありがとうございました。これからも、チョー難解なチャネリング、楽しみに期待しております。バンバン転載させていただきたく、よろしくお願いいたします。オフ会等々も計画されておられるようですが、当方も、自宅を開放型のスピ人間集合場所にと、計画準備中です。将来、もし、どこかでお顔を拝見する機会・・のために、名前だけでも覚えておいていただけるよう、今からお願い申し上げます。(ケロリン=禊中/みそぎちゅう)

ケロリンより:2012年1月16日 3:03 PM

keinudidio さま

「大統一の窓」1/16日付記事
で、お礼をかねて、記事にいたしました。

このまま、もっと記事を上げられることを期待しつつ、
”想いのまま”進まれることを願っております。

nakaharaより:2012年1月16日 4:29 PM

下記ウェブサイトの数式、山田さんであれば理解できると思います
最新記事は火の鳥

http://ameblo.jp/kajikanet/

keinudidioより:2012年1月17日 10:05 PM

ケロリンさま

> ・・・keinudidio さま、特別な場を設けていただき、ありがとうございました。これからも、チョー難解なチャネリング、楽しみに期待しております。バンバン転載させていただきたく、よろしくお願いいたします。オフ会等々も計画されておられるようですが、当方も、自宅を開放型のスピ人間集合場所にと、計画準備中です。将来、もし、どこかでお顔を拝見する機会・・のために、名前だけでも覚えておいていただけるよう、今からお願い申し上げます。(ケロリン=禊中/みそぎちゅう)

ケロリンさん骨太っ!ていうか全部骨!
だから忘れようないですよ。

オフ会成立するでしょうか?
いま呼びかけ中です。

keinudidioより:2012年1月17日 11:08 PM

nakahara さま

コメントどうもありがとうございます。

拝見しました。凄い情報量とその構成力に長けていますね。

どの記事もある時点までは同質のものを見知っています。
しかし最終解釈が私とは違う気がしました。

ひろっぺより:2012年1月18日 3:38 PM

いつもお勉強させてもらっています。
ありがとうございます。

脳みそぐにゃ〜んより、脳から湯気出てます。

>愛と憎しみは同義です。
この言葉、胸に刺さりました。
「うっ」と思ったけど、なぜそういう感情が出てきたのか、自分で消化できていません。
消化したいです。そしたら、見えてくる(感じて?)ものがありそうです。

最近、いろんな所で『愛』が大切だと言われていますが、私はさっぱりピンと来ませんでした。「愛・・・。おいしいの?それ??」と言ってしまいそうなくらい実感ないし、意味不明です。
でも、山田さまのお話しでちょっとヒントがつかめたかもしれません。

オフ会、いいですね!!!
オフ会が開催されることになったら、家人をうまく丸め込んで参加させてもらいます。

ありがとうございました。

azulより:2012年1月18日 7:38 PM

オフ会の場所、公共施設も個人で登録できれば、低予算で行えますよ。

さいたまは市民か在勤者ならコミュニティ施設(有料)が個人登録利用できます。
マイク等の音響も有料ですが借りることができます。

今は住んでいないので直接のお力にはなれませんがご参考まで。

ケロリンより:2012年1月19日 2:05 AM

ほめすぎだわ、パパ。

返事のしようがなかったのです・・。

keinudidioより:2012年1月20日 2:50 AM

ひろっぺさま

> 脳みそぐにゃ〜んより、脳から湯気出てます。

あははは。

> 最近、いろんな所で『愛』が大切だと言われていますが、私はさっぱりピンと来ませんでした。「愛・・・。おいしいの?それ??」と言ってしまいそうなくらい実感ないし、意味不明です。

そのとおり!同感です!

> オフ会、いいですね!!!
> オフ会が開催されることになったら、家人をうまく丸め込んで参加させてもらいます。

是非よろしくおねがいします。

keinudidioより:2012年1月20日 2:58 AM

azulさま

コメントどうもありがとうございます。

> オフ会の場所、公共施設も個人で登録できれば、低予算で行えますよ。
そうですね。その手ありですね。
当たってみます。
情報どうもありがとうございました。

*メーテル*より:2012年1月21日 12:40 PM

こんにちわm(__)m

年末、森の魔法のblogのほうでお世話になりましたm(__)m☆
今年もよろしくお願いしますm(__)m

こちらのblogは私には難しいのですが、
愛については考えられたのでコメントさせてください。

愛は自分の中にあって、内から滲み出てくる状態…

押し付けるものでもなく、支配するものでもなく…

子供の成長を見守る親の愛、人を守りたい、助けたい、でも依存はしない、
自然ににじみ出る愛。

その愛を人類一人一人がもっと大切に思えば、その愛を愛する、自分を愛する…そうすれば、社会が変わる、

そういうことでしょうか…

私は自主避難生活をしながら、思い通りにならない子供と、自分自身と
向き合わされる生活をしてます。

望んでない新しい生活、人間関係、
放射能も含め、心労が絶えない生活です。

でも、そんな生活の中でも、ものすごく学ばせられることがたくさんあります。

自分以外の人間と、キラッと愛が通ったような瞬間、厳しい毎日の中でも、
いろいろな愛が光る瞬間があります。

今回の記事の内容は、そのことなのかなと、自分の愛を確認したくて
コメントさせてもらいました。

*メーテル*より:2012年1月22日 1:04 AM

前のコメント欄中の リンクは間違って入ってしまいました。

修正ができなかったので、こちらのコメントにて訂正させてくださいm(__)m

失礼しました。

keinudidioより:2012年1月23日 1:30 PM

*メーテル*さま

> 私は自主避難生活をしながら、思い通りにならない子供と、自分自身と
> 向き合わされる生活をしてます。
>
> 望んでない新しい生活、人間関係、
> 放射能も含め、心労が絶えない生活です。

日本語は簡単な言葉に深い意味が編み込まれております。
「住めば都」
自主避難生活、言うのは簡単ですが、想像を超えるご苦労がおありのことと思います。
しかし、「住めば都」の言葉にあるように、人(生き物)は順応適応能力があります。
水や空気に馴染み、体(物質)を変容させてゆくのです。
そのことで、今まで気付かなかった意識体の記憶や前世の思いが目覚めることもございます。
私の亡き叔母は戦後すぐアメリカへ移住しました。
30年以上経た’70年代には髪も金髪に変わり、体系も心もアメリカ人に変わりました。
人とは想像以上に強いようです。
こころばかりの応援ですが、どうか楽しくお過ごしください。

かじかわより:2012年4月17日 8:34 PM

とりあえず、私も考えた経済学上の「愛」も確認ください。☆

「安定した(経済)変動と力強い(経済)発展」を齎すものが”愛”なのですと。☆☆

keinudidioより:2012年4月24日 6:08 PM

かじかわさま
コメントどうもありがとうございます。
独自のご活動がんばってください!


Posted by keinudidio